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第45回「シリーズ家康② 家康と信長との同盟」

3週連続で天下人・徳川家康の敗北に注目する第2回。今回は、織田信長との同盟を巡る失敗から、明日を生きるための教訓を探る。桶狭間の戦いの後、今川家からの独立を果たした家康。この時、家康の後ろ盾となったのが信長であった。二人が清洲同盟を結ぶと、家康は三河を統一し、今川領の遠江に侵攻。一方、信長は上洛を果たし、畿内での勢力を拡大。同盟締結は双方にとって極めて有効なもののように思えた。
ところが、武田信玄が家康と敵対し、遠江に侵攻した際、信長はわずかな援軍しか送らず、家康は三方ヶ原で大敗を喫する。さらに、信玄の息子・勝頼に徳川方の高天神城が攻められると、信長の援軍が遅れ、城が陥落してしまう。家康は信長の戦に何度も援軍を送ったが、信長はまともな援軍を送ることはなかった。二人の同盟関係は対等なものではなかったのか?家康が信長との同盟で失ったものとは?
高天神城が落ちた翌年、武田軍が再び徳川領に侵攻。すると、信長は以前と打って変わって大軍を送り、家康を本気で救援しようとした。信長が態度を一変させた理由とは?その後、家康は信長との連合軍で長篠・設楽原の戦いを制し、やがて、武田氏は滅亡に至る。もし、家康が自分を助けてくれない信長を見限り、武田氏と手を組んでいたら、どんな展開になっていたのか?

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この動画は2026年06月10日 23時59分に販売終了予定です。

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