第40回「福島正則・豊臣家を守れなかった猛将」

「豊臣家の滅亡を見届けた猛将の胸中とは?」今回は豊臣家と徳川家の板挟みになった猛将・福島正則の敗北を紐解き、現代に通じる教訓を探る。賤ヶ岳の戦いで一番槍を務め、武功を挙げた正則は、豊臣秀吉の天下統一事業に貢献。石田三成、加藤清正ら並み居る秀吉子飼いの武将の出世頭となる。秀吉没後、三成らとの対立が表面化すると、徳川家康と縁戚関係を結び、関ヶ原の戦いで東軍勝利の立役者となった。
広島50万石の大大名となった正則は豊臣家の側近として、豊臣・徳川両家をつなぐ重要な役割を担うことになる。ところが、両家の対立が激化し、大坂の陣が勃発。1615年、徳川軍の猛攻により大坂城が陥落、秀吉の嫡男・豊臣秀頼が自害に追い込まれ、豊臣家は滅びてしまう。正則は秀頼を守る立場にありながら、なぜ、豊臣家の滅亡を阻止することができなかったのか? 豊臣家滅亡後も正則は悲劇に見舞われる。台風の影響により損壊した広島城の石垣の修理をしたことが原因で、突如、改易を命じられてしまったのだ。晩年を信濃国で過ごし、1624年、64歳でこの世を去った正則。しかし、悲劇はこれで終わらない。正則の死後、福島家に待ち受けていた運命とは?

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