第42回「シリーズ信長② 信長と武田信玄・突然の裏切り」

3週連続で天下人・織田信長の人生における敗北に注目するシリーズの第2回。今回は信長が最も恐れた武将、武田信玄との関係を巡る失敗から、現代に通じる教訓を探る。信玄より13歳年下の信長が織田家の家督を継いだ頃、信玄は北信濃への侵攻を進め、東日本の諸大名が一目を置く存在になっていた。信長の武勇が信玄の耳に届くのは、桶狭間で今川義元を討ち取った時。当時、信玄は川中島で上杉謙信と戦を重ねている最中だった。 尾張統一後、美濃への進出を目指した信長は、隣接する信濃を勢力下に置く信玄と同盟を結び、美濃を平定すると、瞬く間に上洛を果たす。信玄は謙信との和睦の仲介を信長に依頼し、信長もそれに応えるが、都の周辺には敵対勢力も多く信長は苦戦を強いられる。そんな中、信玄が信長の同盟者・徳川家康と対立し、西上作戦を決行。徳川領のみならず、織田領にも侵攻した。信長はなぜ、同盟関係にあった信玄に裏切られてしまったのか? 信長は家康に援軍を送るも、三方ヶ原の戦いで大敗を喫する。その後、信玄は病に倒れ、亡くなるが、信長の怒りは収まらなかった。そして、信玄に対する恨みは、武田家全体に向けられる。信長は長篠・設楽原の戦いで武田軍を駆逐した後、嫡男・信忠を総大将とする軍勢を甲州に送り、武田家を滅亡させたのだ。もし、信玄が生きながらえて西上作戦を続けていたら、その後、どんな展開が待っていたのか?

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