徳川家康の側近として海外貿易に従事した旗本・三浦按針の敗北から現代に通じる教訓を探る。1564年、イギリス南東部の港町・ジリンガムに生まれた按針は12歳でロンドンの船大工に弟子入り、年季明けと同時に海軍に入り、スペイン無敵艦隊との戦いに参加した。そして、貿易会社に約10年勤めた後、オランダ東洋遠征隊の航海士として、1600年、命からがら豊後国に到達。関ヶ原の戦いの半年前のことだった。
豊臣政権の五大老筆頭・家康に命を救われた按針は日本初の洋式帆船を造ると、相模国に所領を授かり、旗本となる。さらに家康の外交顧問としても活躍し、オランダやイギリスとの貿易を実現させる。ところが、1616年、家康がこの世を去ると、二代将軍・徳川秀忠により、日本と西洋との貿易が大幅に制限されてしまう。海外貿易の拡大に尽力した按針はなぜ、不遇な環境へと追いやられたのか?
1616年、按針はイギリス商館との契約を終わらせ、独立して、東南アジアを中心とする貿易に従事するが、その後、体調を崩し、1620年、平戸でその生涯を閉じた。按針の菩提寺、神奈川県横浜市にある浄土寺には按針ゆかりの貴重な品々が収められている。按針の死後、所領は息子ジョゼフが相続し、二代目三浦按針を名乗り、朱印船貿易に従事した。江戸幕府の創成期、西洋への窓口となった按針の最大の功績とは?
【出演】
解説:伊東潤(歴史作家)
進行:中西悠理(キャスター)
徳川家康の側近として海外貿易に従事した旗本・三浦按針の敗北から現代に通じる教訓を探る。1564年、イギリス南東部の港町・ジリンガムに生まれた按針は12歳でロンドンの船大工に弟子入り、年季明けと同時に海軍に入り、スペイン無敵艦隊との戦いに参加した。そして、貿易会社に約10年勤めた後、オランダ東洋遠征隊の航海士として、1600年、命からがら豊後国に到達。関ヶ原の戦いの半年前のことだった。
豊臣政権の五大老筆頭・家康に命を救われた按針は日本初の洋式帆船を造ると、相模国に所領を授かり、旗本となる。さらに家康の外交顧問としても活躍し、オランダやイギリスとの貿易を実現させる。ところが、1616年、家康がこの世を去ると、二代将軍・徳川秀忠により、日本と西洋との貿易が大幅に制限されてしまう。海外貿易の拡大に尽力した按針はなぜ、不遇な環境へと追いやられたのか?
1616年、按針はイギリス商館との契約を終わらせ、独立して、東南アジアを中心とする貿易に従事するが、その後、体調を崩し、1620年、平戸でその生涯を閉じた。按針の菩提寺、神奈川県横浜市にある浄土寺には按針ゆかりの貴重な品々が収められている。按針の死後、所領は息子ジョゼフが相続し、二代目三浦按針を名乗り、朱印船貿易に従事した。江戸幕府の創成期、西洋への窓口となった按針の最大の功績とは?
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解説:伊東潤(歴史作家)
進行:中西悠理(キャスター)