偉人・敗北からの教訓
明治新政府のリーダーとして日本の近代化に尽力した大久保利通の敗北から現代に通じる教訓を探る。1830年、薩摩藩士の家に生まれた大久保は幼い頃に西郷と知り合い、17歳で薩摩藩に出仕。やがて、中央政治に不安を感じ、朝廷と幕府が協力し、政権の強化を図る公武合体を目指し、奔走する。1867年、十五代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行うと、大久保は倒幕派の公家・岩倉具視らと共に王政復古のクーデターを実行した。
明治新政府の主導者の一人となった大久保は版籍奉還、廃藩置県などを断行し、中央集権体制を確立。欧米諸国を歴訪し、殖産興業こそが富国強兵への道と確信するが、帰国後、西郷らと対立。明治政府に不満を持つ不平士族による反乱が相次ぐと、これらを次々と鎮圧した。さらに西郷が西南戦争を起こすと、彼を自刃に追いやってしまう。大久保が暗殺されたのはその8カ月後のことだった。大久保はなぜ、命を縮めてしまったのか?
かつて、福島県郡山市の周辺には広大な荒れ地が広がっていた。大久保はそこに目を付け、開墾事業を計画した。不毛の大地に豊かな実りをもたらし、殖産興業を推進、全国の旧士族をその仕事に従事させ、救済しようと考えたのだ。延べ85万人の労力により、安積疎水が開通したのは大久保の死から4年後のことだった。もし、大久保があの時、凶刃に倒れなければ、日本の未来はどうなっていたのか?
【出演】
解説:伊東潤(歴史作家)
進行:中西悠理(キャスター)