
偉人・敗北からの教訓
2026/08/15 22:00 配信開始
尼子氏最後の当主・尼子義久の敗北から明日を生きるための教訓を探る!出雲の守護代だった尼子氏は「十一州の太守」と呼ばれた尼子経久の代に勢力を拡大。経久の孫・晴久は石見銀山とたたら製鉄がもたらす経済力を背景に多くの国衆を束ねていった。1540年、晴久の嫡男として、難攻不落の月山富田城に生まれたと言われる義久は21歳の時に父・晴久が急死したことで家督を継承、尼子氏の命運を背負うことになった!
代替わりの混乱に乗じ、隣国・安芸の毛利元就が出雲に侵攻すると、義久は石見銀山を手放し、毛利氏と和睦。しかし、この決断が国衆の反発を招いてしまう。1562年、巧みな調略で尼子方の国衆を味方に付けた元就が再び出雲に侵攻。義久は籠城戦で対抗するが、元就の謀略にはまり、重臣を殺害すると家中が混乱。1566年、義久が元就に屈服し、戦国大名としての尼子家は滅亡した。なぜ、尼子帝国は一代で滅亡したのか?
義久はその後、安芸に幽閉されるが、そんな中、尼子氏の再興を目指す人物がいた。最後まで降伏に反対し、牢人となった山中鹿介である。鹿介は京で僧侶になっていた尼子勝久を還俗させ、再興軍の旗印にすると、3000以上の兵を集めて戦うが、圧倒的な兵力を有する毛利軍には歯が立たなかった。義久は尼子氏再興のために戦う家臣たちにどんな思いを寄せていたのか?義久の敗北から学ぶ教訓は...「何よりも大切なのは信用」!