京都時代に松山家の近所に福井光子(福井ミカ=後のサディスティック・ミカバンド)が引っ越してきて、彼女が「BFです」と加藤和彦を紹介したのがきっかけで松山猛と加藤和彦の交流が始まった。加藤和彦が組んだフォークルの300枚限定自主製作盤LPに「ハレンチ」というタイトルを付け、ジャケットデザインを担当したのが松山猛であった。
グラフィックデザイナーだった松山猛は福井光子の提言で作詞をするようになり、そのLPの中の松山作品「帰ってきたヨッパライ」はラジオ番組から浸透し、東芝からメジャー発売され、映画化もされた。
松山猛は中学時代、地元の朝鮮学校の生徒と日本人学校の生徒の喧嘩が絶えず、両方に友達がいる関係から何とかならないものかと担任の先生に相談したところ、サッカーの親善試合を提案され、松山少年はその特使として朝鮮学校へ試合の申し込みに行き、快諾を得る事が出来た。その帰りに朝鮮学校の教室から聞こえてきたのは合唱部が歌う「イムジン河」のメロディーであった。全てがそこから始まった。
<使用楽曲>
「イムジン河」高石友也/「帰ってきたヨッパライ」「イムジン河」ザ・フォーク・クルセダーズ/「イムジン河」イムジン河新録実行委員会
【出演】
■ナビゲーター:島敏光
■アシスタント:Mami
■ゲスト:松山 猛
※この番組は、2026年3月6日に放送されたものとなります。
京都時代に松山家の近所に福井光子(福井ミカ=後のサディスティック・ミカバンド)が引っ越してきて、彼女が「BFです」と加藤和彦を紹介したのがきっかけで松山猛と加藤和彦の交流が始まった。加藤和彦が組んだフォークルの300枚限定自主製作盤LPに「ハレンチ」というタイトルを付け、ジャケットデザインを担当したのが松山猛であった。
グラフィックデザイナーだった松山猛は福井光子の提言で作詞をするようになり、そのLPの中の松山作品「帰ってきたヨッパライ」はラジオ番組から浸透し、東芝からメジャー発売され、映画化もされた。
松山猛は中学時代、地元の朝鮮学校の生徒と日本人学校の生徒の喧嘩が絶えず、両方に友達がいる関係から何とかならないものかと担任の先生に相談したところ、サッカーの親善試合を提案され、松山少年はその特使として朝鮮学校へ試合の申し込みに行き、快諾を得る事が出来た。その帰りに朝鮮学校の教室から聞こえてきたのは合唱部が歌う「イムジン河」のメロディーであった。全てがそこから始まった。
<使用楽曲>
「イムジン河」高石友也/「帰ってきたヨッパライ」「イムジン河」ザ・フォーク・クルセダーズ/「イムジン河」イムジン河新録実行委員会
【出演】
■ナビゲーター:島敏光
■アシスタント:Mami
■ゲスト:松山 猛
※この番組は、2026年3月6日に放送されたものとなります。