今回のゲストは、日本初のプロ・フォークシンガーとなったマイク眞木さん。そして当時のレコード会社ディレクターの本城和治さんも証言ゲストとして出演。
マイク眞木さんは学生バンドMFQ時代から日本民謡へのアプローチを試みていた。その精神を知っていた学生バンド仲間≪ブルー・マウンテン・ボーイズ≫の岡田渥美氏が「日本語で歌えるフォーク歌手」を探していたシンコーミュージックの草野昌一専務にマイク眞木を紹介したところから彼のサクセスストーリーが始まった。
ヒット曲「バラが咲いた」は当初、誰かが歌うための仮歌=デモテープのつもりでマイク眞木さんがスタジオに呼ばれて一発録りで吹き込んだものだったが、それが知らない間にレコード化され、そこから人生が一転した。この曲で、NHK「紅白歌合戦」への出場、その時の裏話も披露。
<使用楽曲>
「花はどこへ行ったの」ブラザーズ・フォア/「虹とともに消えた恋」PPM/「星に祈りを」ブロード・サイド・フォー/「バラが咲いた」「きっと」「気楽に行こう・Xmasバージョン」マイク眞木
【出演】
■ナビゲーター:島敏光
■アシスタント:Mami
■ゲスト:マイク眞木、本城和治
マイク眞木(プロフィール)
1944(昭和19)年、東京赤坂生まれ、赤坂育ち。日本大学芸術学部在学中にモダン・フォーク・カルテットに参加。
1966年、「バラが咲いた」で歌手デビュー。大ヒットとなりその年の紅白歌合戦出場も果たす。モービル石油CMソング「気楽にいこう」も話題になった。また、有名な「キャンプだホイ」の作詞作曲も手がけている。
アメリカ大陸、ハワイに長期在住の経験を経て1997年、ドラマ「ビーチボーイズ」の出演を機に帰国。現在は赤坂と千葉・九十九里を行き来する生活を続けている。3人の息子は皆プロサーファー。他に長女(中学2年生)、孫6人。2013年1月発売のアルバム「OLD SCHOOL」に続き、今回のニューアルバムでも新曲を書き下ろしている。
来年デビュー50周年を控え、現在も精力的にライブ活動を続けている。
※この番組は、2025年1月17日に放送されたものとなります。
今回のゲストは、日本初のプロ・フォークシンガーとなったマイク眞木さん。そして当時のレコード会社ディレクターの本城和治さんも証言ゲストとして出演。
マイク眞木さんは学生バンドMFQ時代から日本民謡へのアプローチを試みていた。その精神を知っていた学生バンド仲間≪ブルー・マウンテン・ボーイズ≫の岡田渥美氏が「日本語で歌えるフォーク歌手」を探していたシンコーミュージックの草野昌一専務にマイク眞木を紹介したところから彼のサクセスストーリーが始まった。
ヒット曲「バラが咲いた」は当初、誰かが歌うための仮歌=デモテープのつもりでマイク眞木さんがスタジオに呼ばれて一発録りで吹き込んだものだったが、それが知らない間にレコード化され、そこから人生が一転した。この曲で、NHK「紅白歌合戦」への出場、その時の裏話も披露。
<使用楽曲>
「花はどこへ行ったの」ブラザーズ・フォア/「虹とともに消えた恋」PPM/「星に祈りを」ブロード・サイド・フォー/「バラが咲いた」「きっと」「気楽に行こう・Xmasバージョン」マイク眞木
【出演】
■ナビゲーター:島敏光
■アシスタント:Mami
■ゲスト:マイク眞木、本城和治
マイク眞木(プロフィール)
1944(昭和19)年、東京赤坂生まれ、赤坂育ち。日本大学芸術学部在学中にモダン・フォーク・カルテットに参加。
1966年、「バラが咲いた」で歌手デビュー。大ヒットとなりその年の紅白歌合戦出場も果たす。モービル石油CMソング「気楽にいこう」も話題になった。また、有名な「キャンプだホイ」の作詞作曲も手がけている。
アメリカ大陸、ハワイに長期在住の経験を経て1997年、ドラマ「ビーチボーイズ」の出演を機に帰国。現在は赤坂と千葉・九十九里を行き来する生活を続けている。3人の息子は皆プロサーファー。他に長女(中学2年生)、孫6人。2013年1月発売のアルバム「OLD SCHOOL」に続き、今回のニューアルバムでも新曲を書き下ろしている。
来年デビュー50周年を控え、現在も精力的にライブ活動を続けている。
※この番組は、2025年1月17日に放送されたものとなります。