偉人・敗北からの教訓
竹中半兵衛と共に「両兵衛」と称される黒田官兵衛の敗北から現代に通じる教訓を探る。1546年、姫路城代を務める黒田職隆の嫡男として播磨国に生まれた官兵衛は22歳で家督を継ぎ、父から主君・小寺政職の家老職も譲り受ける。そして、当時の情勢を冷静に分析し、小寺家を織田信長の配下に組み入れる。その後、信長の命により秀吉が中国攻めの指揮を執ると、官兵衛はこれに従軍し、戦いの渦に身を投じる。
しかし、若き官兵衛は命を落としかねない危機にも遭遇してしまう。1578年、信長から摂津国の統治を任されていた荒木村重が謀反を起こし、有岡城に籠城すると、官兵衛は村重を翻意させるべく、単身、城内に乗り込んだ。ところが、官兵衛は逆に村重に捕らえられ、一年近くもの長きにわたり、身柄を拘束されてしまう。官兵衛はなぜ囚われの身となってしまったのか?そして、官兵衛が監禁生活から学んだこととは?
官兵衛が一向に戻って来ないことに業を煮やした信長は人質にとっていた官兵衛の嫡男・長政を殺害するよう、秀吉に命じた。村重は1年近く籠城を続けるが、兵量の底が見え、毛利の援軍も来ないため、有岡城を脱出。すると、信長が有岡城に総攻撃を仕掛け、官兵衛はようやく自由の身となった。そこで官兵衛は初めて、長政が無事でいることを知る。その裏には、秀吉のもとで軍師として共に戦った盟友・竹中半兵衛の英断があった!
【出演】
解説:伊東潤(歴史作家)
進行:中西悠理(キャスター)