偉人・敗北からの教訓
征夷大将軍となった鎌倉殿・源頼朝の敗北から現代に通じる教訓を探る。1147年、源義朝の三男として京都で生まれたとされる頼朝は平治の乱で父・義朝が命を落としたことで運命が一変。14歳で伊豆国に流され、20年もの長きにわたり、流人生活を強いられる。1180年、後白河法皇の第三皇子・以仁王が発した平家追討の令旨を受け、挙兵すると、房総や武蔵の豪族をまとめ、鎌倉に坂東武士団の拠点を築く。
その後、対立した従兄弟の木曾義仲を討ち取ると、宿敵・平家を滅ぼし、さらに敵対した弟・義経もろとも奥州藤原氏を滅亡させ、征夷大将軍の称号を得る。頼朝は自らが築いた源氏将軍家のさらなる繁栄を目指すが、将軍就任から6年半後、突如、帰らぬ人に。頼朝亡き後、二人の息子が将軍職を継ぐが、共に若くして暗殺され、源氏将軍家はわずか三代で絶えてしまう。頼朝はなぜ、源氏政権を永続させることができなかったのか?
嫡男・頼家は18歳で二代将軍となるが、北条氏が頼家の若さに付け込み、13人の御家人による合議制での政治を始める。すると、これに反発した御家人たちによる権力争いが過熱。病に倒れた頼家が伊豆の修禅寺に幽閉され、暗殺されると、三代将軍となった実朝までもが命を奪われてしまう。頼朝の将軍就任から27年、源氏将軍家はあっけなく断絶してしまった。頼朝がもう少し長生きしていたら、状況は変わっていたのか?
■出演
進行:中西悠理(キャスター)
解説:伊東潤(歴史作家)