偉人・敗北からの教訓
赤穂浪士の討入によって命を落とした吉良上野介の敗北から現代に通じる教訓を探る。1641年、幕府の儀式や典礼を司る高家旗本・吉良義冬の嫡男として江戸に生まれた上野介は18歳の時、米沢藩主・上杉綱勝の妹と結婚、43歳で高家肝煎に就任する。上野介は三河国と上野国に計4200石の所領を有し、三河の吉良では治水事業や新田開発などを手掛け、領民に慕われた名君であったと伝えられている。
ところが、61歳の時、江戸城松の廊下で勅使饗応役の赤穂藩主・浅野内匠頭に突然、斬り付けられ、傷を負ってしまう。内匠頭は即日切腹となるが、上野介はお咎めなしだったこともあり、内匠頭の家臣らの恨みを買うことに。そして、刃傷事件から1年9カ月後、大石内蔵助率いる赤穂浪士が吉良邸討入を決行し、上野介は首を取られてしまう。上野介はなぜ、自らの命を守ることができなかったのか?
吉良邸討入から約50日後、赤穂浪士46人が切腹に処せられ、亡き主君のもとに旅立った。その日、吉良家にも改易という厳しい処分が下された。幕府が吉良家に断罪を下した背景には、無視することができない世間の声があったという。信濃に配流となった吉良家当主・義周は3年後、21歳の若さで他界、この時、高家としての吉良家は断絶した。家名断絶という悲劇を招いた上野介。しかし、この後、さらに大きな敗北が待っていた!
【出演】
解説:伊東潤(歴史作家)
進行:中西悠理(キャスター)